2024年12月30日月曜日
一日一曲「ナッシング・エルス / アンガス・アンド・ジュリア・ストーン」
一日一曲「誘惑 / GLAY」
今日は
そういうジャンルが
あるのか無いのか分からないけれど
ビジュアル系
ロックバンドの
GLAY。
曲は
今年紅白の
演奏曲になった
誘惑。
GLAYは
面白いバンドだなと
常々思っていて
その演奏力や
メロディセンスなどは
坂本龍一も太鼓判を押していて
とても個性的。
もっと面白いのは
1994年デビューという
ニルヴァーナのカートコバーンが
自殺した
年にも
関わらず
全く
洋楽の影響が伺えないところだ。
日本の
80年代のバンドから
沢山影響を受けた。
今の人たちには
ピンと来ないと思うんだけど
1994年、
ぼくが中学生だったころ
すごいバンドブームで
近所には
こういう
お兄ちゃんが
たくさんいた。
ぼくが
一番最初に
ギターを教えてもらった
ヒロシさんも
甘いマスクで
髪がサラッとしていて
物腰も柔らかく
すごく大人だった。
モデルの女性を彼女に
していて
なんかもうめちゃくちゃ
格好良かった。
GLAYも
はっきり言って
ぼくとは無縁の人たちだけど
90年代初頭
そういう
サクセスストーリーがあった。
あの頃、沢山いた
お兄ちゃんたちは
今頃何をしているんだろうか。
最近
こういう
エンターテインしている
ビッグバンドを持ち上げる
風潮があるけど
僕はあまり関わりたくない。
この誘惑も
演奏は
かっこいいのだが
声量がなく
迫力がない。
でもこういう人たちがいるから
音楽産業が成り立っているのもまた事実。
90年代。
欲得に忠実に
勝ち進んだ
GLAYの誘惑でした~
紅白出場おめでとう御座います。
2024年12月29日日曜日
一日一曲「太陽のブルース / くるり」
ついにネタが
尽きてしまいました(しょっちゅう言ってる)。
そこで
今日は困った時のくるり。
曲は太陽のブルース。
ぼくは多分
くるりの中で
この曲が一番好きだと思う。
太陽のブルースが収録された
アルバム
魂のゆくえ
は2009年に発表された。
2009年は
僕にとって特別で
一人暮らしを始めた
頃です。
何とか
アルバイトをして
生活費を稼ぎ
どうやればいいか
分からずで音楽もやっていた。
かつて夢中になっていた
U2やレディオヘッド、オアシスの
アルバムに
陶酔することが出来ず
大橋トリオや
安藤裕子などの
新しいJ-POPを聴いていた。
その中でくるりだけが
継続して
心に響いていた。
この太陽のブルースがそうである。
この曲で連想する
太陽は
黒い太陽。陽炎。
もうすぐ発売する
ぼくの
消えた太陽は
ここからインスパイアされた。
あの頃
音楽をやっている
僕を
人はどう思っていたのであろうか。
嘲笑の対象だったんろうか。
恐らく誰もまともに
相手していなかっただろうな。
人畜無害の
哀れな男だったと思う。
ただやっと歩き出した。
絶望の中
1人で頑張った。
太陽のブルースは
そんな頃の
サウンドトラックだった。
くるりでした。
2024年12月28日土曜日
一日一曲「ありがとう / いきものがかり」
いきものがかりは
2周目で
前回はうるわしきひと
でした。
松本孝弘も
認める
メロディセンス
歌唱力。
それはもう
シンデレラストーリーのように
業界の重鎮たちに
愛されて来ました。
路上から始めた
度胸、
声量、
またアコースティックギターから
始めたのも良かったんでしょうね。
凡百のエレキバンドには
到底到達出来ない
演奏力がある。
00年代、
彼女達は
J-POPの寵児でした。
その頃、
同じようなポジションにいたのが
かのコブクロ。
彼らも関西の路上から始めた。
インディーロックバンドの
嫉妬を横目に
充分才能を開花させていた。
それから月日が
流れ
20年代。
コブクロが活動の幅を
広げながら
今だに勢力を拡大している中、
何故
いきものがかりは
失速したか。
もっと言うと
業界のお荷物になってしまったか。
以前コブクロの
DOORを投稿しましたが
考えるに値する
出来事だと思います。
いきものがかり。の
ありがとう。
でした〜
2024年12月26日木曜日
一日一曲「プッシュ・イット / ガービッジ」
ガービッジの
発表されたのが
1998年。
1997年に発表された
U2のPOPにサウンドがそっくりで
確かに
この曲は格好良かったけど
当時は
2匹目のドジョウくらいにしか
思ってなかった。
またシャーリー・マンソンの
男受けしそうな
ちょっとロリータな
雰囲気も
アイドルっぽく
軽視していた。
ただ
マンソンという名前に引っ掛かった。
マリリン・マンソンと
関係しているのかな?
ビデオクリップの方も
当時の流行りのインダストリアル・ロックに
寄せていたというよりも
元々の出自が
そうだったのかも。
マンソンの
壮絶な生い立ちも
曲に
対する説得力
を生み出し
残りの3人も相当の強者。
20年以上経った
令和の今
切れ味が
鋭くなった
ガービッジのプッシュ・イット。
面白いなぁ。
一日一曲「リトル・スター / スティーナ・ノルデンスタム」
スティーナ・ノルデンスタムは
1991年から
活動を始めた
スゥエーデンの女の子。
90年代、
自我を爆発させる
アーティストが多い中、
彼女は異質でした。
1997年発表の
ロミオ+ジュリエットの
サウンドトラックに
収録されヒットしたかどうかは
ともかく
作品に奥行きを貢献しました。
ぼくは買わなかったのですが
聴く事が出来ました。
当時好きだったまいこちゃんが
持っていて貸してもらったからです。
まいこちゃんは
和歌山県から兵庫県の
関西大学に通学する為に
西宮市の寮に越して来た女の子。
八重歯が可愛く
ショートカットで
少しだけ髪を染めていた。
一緒に
ブルーマリンという
大きな
喫茶店で
働いていて
ぼくはゾッコンだった。
赤いセーターが凄く
似合ってて、
でも彼氏がいました。
リトル・スターを
聞きながら
彼女への淡い想いを
膨らましていました。
残念ながら
失恋してしまうのだけど
可愛かったなぁ。
スティーナ・ノルデンスタムの
ピュアな
音楽は
スゥエーデンという国と
深く関係していると思う。
まだまだ何か隠されているんじゃないかな。
曲はリトル・スター。
でした。
2024年12月25日水曜日
一日一曲「バッド・メディシン / ポン・ジョヴィ」
ぼくは
普段あんまり
ボン・ジョヴィを聴きません。
もっと言うと嫌いです。
けれど
このバッド・メディシンだけは
特別で
大好きです。
80年代の
MTVの華やかな
良き思い出として
今も思い出します。
ハードロックは
今じゃ当たり前だけど
ずっと
アンダーグラウンドな
音楽だった。
化粧したり
ハードゲイの格好をしたり
執拗に
ギターを弄くる
その様は
女子には受け入れ難かった。
そこでボン・ジョヴィである。
その甘いルックス。
パーマのかかった
ブロンド。
そして悩みの無さそうな
そのハスキーボイスに
女子たちは狂ったのである。
禁じられた愛で
天下を取った
勢いそのまま
出されたバッド・メディシンは
正しく何の悩みもない
幸福な
季節だったのである。
確かソニーのカセットテープ
のタイアップにもなり
日本市場を開拓。
この頃は
その側面で言うと
日本とアメリカの
時代だったんですね。
日本とアメリカの交友関係が
信じられていた時代。
今じゃすっかり
属国ですが
友達、平和、正義の
良き正しき頃も
あったんですよ。
世界はどこに向かって行くのか。
勝ち組の
ボン・ジョヴィ。
曲はバッド・メディシンでした。
2024年12月24日火曜日
一日一曲「Sweet (A La La Long )インナー・サークル」
ぼくの音楽的なルーツに
レゲエは
ほとんどなく
ヨーロッパの音楽ばかり聴いていた。
10代の頃
大阪の
ファッション街
アメリカ村で
ジャマイカの国旗を
見る度にスルーしていたのを
思い出します。
レゲエバンドと
UKやUSのバンドって
音楽をやる動機が
違うと思うんです。
前者は
みんなで楽しむ為にハッピーになる為にやる
趣が強く
後者は
もっと動機が個人的で
認められたいという
欲求が強い。
インナー・サークルは
1968年から始まった
古いバンドで
ホテル付きのキャリア
から始めました。
メンバーを交通事故で失ったり
病気のメンバーを
治療に専念させたりと
それでも続ける背景には
ファミリー的な意味合いが
強いんじゃないかな。
ヒットしたのは1992年。
80年代のバンドだとばかり
思っていたなぁ。
自分が40代になって
やっとイギリス的な
出自に疑問を持ち
他の文化圏の
音楽に
興味を抱き始めた中
インナー・サークルの
Sweet (A La La Long)みたいな曲かあったなと
思い出しました。
兄がよく口ずさんでたな。
2024年12月23日月曜日
一日一曲「LADY NAVIGATION / B'z」
B'zは2周目で
と言っても
曲について語る気はあまりなく
B'zと私といった趣で。
このLADY NAVIGATION
が発売された頃
ぼくは中学1年で
思春期真っ只中だった。
稲葉浩志の
完璧なルックスに
やられたし憧れた。
髪型のふわっとした感じ、
ユニセックスなジャケット
そして
何と言っても
ジーパンの
着こなしかたが
足にピターッとしていて
格好良かった。
当時はわからなかったけど
スタイルが良かったし
足も鍛えられていたので
それで似合っていたんですね
ただただ学校を
往復するだけの毎日の
体には
あのジーンズはハードルが
高すぎた。
曲も
この頃のが
一番好きで
デジタルサウンドに
ディストーションギター
にやられて
真似して
ぼくも松本さんモデルの
エレキギターを買った。
楽器というよりも
高いおもちゃを買ったという感じ。
全く弾き方が分からず
音も全く出ない。
押し入れに直行だった。
神社にお参りに
行った際
ギターが弾けますようにと
お祈りしたのも
この頃だった。
そうなんだよね、
ぼくがミュージシャンを志したのは
B'zなんだよね。
忘れてた。
40代になった今
少し足を鍛えて
少しだけ
稲葉さんの
ように
ジーンズを
履けるようになった
B'zの
LADY NAVIGATIONでした。
2024年12月22日日曜日
一日一曲「うるわしきひと / いきものがかり」
いきものがかり
と言えば
ぼくは
うるわしきひとを真っ先に
連想します。
この曲
オリコン最高位
17位と
地味な数字。
けれど
いきものがかり
の名刺的な
インパクトがあったと思う。
大体
大ヒットソングの
前には
こうした
本当にいい曲という
ものがあるものである。
いきものがかりも
この曲で"もの"にしたんですね。
面白いと思ったのは曲
だけでなく
そのPVで
昔カラオケに行ったとき
よく店内にその映像が
流れてて
いつも違和感があった。
なんでだろう、とずっと
思ってたのですが
この曲に限らず
当時のJ-POPと呼ばれる人たちの
映像には
漏れなく一般の人が出ていないんですね
出てくる人は
ミュージシャン本人か
全て役者。
そこに写し出されている
世界はファンタジー。
リアリティが全くない。
それをメジャーの
プロの演出
と取る人もいるかも知れないけど
ぼくはそうは思わない。
絵コンテ通りにやって
撮影するのもいいけど
その場当たりの
生の臨場感みたいなものは
無くなる。
日本の映像と海外の映像。
そういう事も考えさせてくれる
いきものがかりのうるわしきひと。
彼らも路上から始めたんですよね。
2024年12月21日土曜日
一日一曲「ドリームス / フリートウッド・マック」
フリートウッド・マックの
1977年に
アメリカの
ビルボードチャートで1位に輝きました。
アルバムに至っては
31週に渡り1位になり
年間でもトップを飾りました。
ぼくは長い間
このグループを知らなかったし
ドリームスも
いい曲だとは
思うけど
地味だし
サビがないし
なんでこれが
そんなに売れたの?でした。
思ったのは
ぼくだけではなく
たくさんの人にとっても
そうなじゃないかなぁ。
1970年。
所謂ロックが成熟に向かって
勧善懲悪の世界から
挫折や屈折を
経験した。
80年代になると
その傾向は
加速するのたけど
その最初の片鱗が
ドリームスだったのではないでしょうか。
あと
大ヒットソング云々よりも
バンドの歴史自体に
人気があって
その支えあっての
ヒットソングのような気がする。
そういう意味では
ウィズ・オア・ウィズアウト・ユーみたいな
地味な曲が
代表曲になった
U2に
似ているのかも。
まぁ、
ベストヒット的な
価値観なんてものの
方が本来お門違いなんであって
真っ当な売れ方なんてしょうね。
メッセージや
生き様が評価される
ちゃんとロックバンド
なんではないでしょうか。
あまり掘り下げようとは
思わないのですが
その人気が
どこから来るものなのか。
イマイチピンと来ない
フリートウッド・マック。の
ドリームス。でした。
2024年12月19日木曜日
一日一曲「アイアイ / 横山だいすけ」
今日は
久しぶりに
童謡で曲はアイアイ。
アイアイは
マダガスカル島に生息する
霊長類。
島では"悪魔の使い"
と呼ばれ恐れられている。
作詞を担当した相田裕美さんは
その事実を知らず
かわいい歌を依頼された際
アイアイを選んだそう。
指が長く
夜行性で
夜には
瞳が真っ赤になるなど
人が怖がる要素がたくさんで
大量に
駆除され
今では絶滅に瀕している。
日本では
歌の効果も相まって
2001年に
来日した際
大人気に。
ぼくを含め
多くの人が受け取っている
愛くるしい
愉快なお猿さんの歌という誤解。
日本人は
事実よりも
そう思いたい
願望で
埋め尽くされています。
今回取り上げるに至って
複雑な気持ちになった
アイアイ。
歌は横山だいすけさんのを選びました。
1962年発表の曲です。
2024年12月18日水曜日
一日一曲「Answer / 幾田りら」
前回のヨアソビから
の続きです。
ヨアソビの
アイドルは
真正面からアイドルを批評した
曲でした。
けれど
その批評は丸ごと
ヨアソビ自身に向けられる
批判であるパラドックスを含むものでした。
その最上段から振りかぶった問いに
どのような落とし前をつけるのか。
アイドルの楽曲にも
アルバムにも答えはありませんでした。
そこで幾田りらさんのアルバム
Sketchでした。
そのものズバリAnswerに
声明がありました。
自身の辿って来た道を
照らし合わせ
答えは見つからない
未完成なままでいい
という内容でしたが
全然だめです。
問いに答える姿勢は
謙虚ですが
その答えが
見つからない。
では
やはりだめでしょう。
ジェンダー平等と言っている時代に
そのような最初から出せる逃げの答えは
頂けません。
けれど
それでも一手打ったのはいいですよね。
ということで
ヨアソビと幾田りらさんは
セットで聴くべきだと
思ったし面白いですよね。
次のソロ作も聴いてみたいと思う
幾田りら。で
曲はAnswer。でした。
でも"いくら"は反則だよなぁ。
2024年12月17日火曜日
一日一曲「アイドル / YOASOBI」
一日一曲「戦場のメリークリスマス / 坂本龍一」
もうすぐクリスマスということで
坂本龍一さんの
ぼくが
この曲に出会ったのは
中学生の頃でした。
YMO
を知り
掘り下げていって
ジャケ買いのような
感じだった。
聴いた瞬間
その美しさに
引き込まれました。
同名の映画も観て
思春期を
形成するのに
決定的でした。
そのメロディ
コード使いは
今までなかったもので
日本人で影響されていない
ミュージシャンは
いないと思う。
海外の方があまり
その色を出さないのも
畏敬の念が
あるからに思う。
そのオリエンタルな
旋律は
永遠に
残る
坂本龍一さんで
戦場のメリークリスマスでした。
2024年12月16日月曜日
一日一曲「ビューティフル・ワンズ / スウェード」
今日は
今だに
ピンと来ないこと
という事で進めます
スウェードの
ビューティフル・ワンズという
曲なのですが
親友の
水田くんが
好きなバンドで
特に好きだった曲。
ビッグなシングルじゃないし
肩の力が抜けた演奏で
ファンの間でも
根強い人気を持つ。
高校生だった当時
その良さがあまり
分からず
ふーんという感じだった
どんなバンドでも
一曲は持つ
抜けのいい
エイトビートの
バンドサウンド。
言っている事は
わかるのですが
どうもしっくりこない。
センスないのかなと鑑みてしまいます
濃い音楽ばかり
好んで聴いているので
どこか物足りない。
そういう
重さがないから
いいんじゃないかという
人間的な
余裕の無さも
自分に感じてしまう。
エイトビートなんだよ
と言われても
今だにピンと来ない
スウェードの
ビューティフル・ワンズ。
でした。
2024年12月15日日曜日
一日一曲「ブリーズ / コレクティブ・ソウル」
今日の一日一曲は
ゆたーりとした感じで。
コレクティブ・ソウルの
ブリーズは
1994年に発表されました。
グランジバンドブームの
最中
出てきたサウンドは
程よくノイジーで
程よくメロディアスでした。
確かに
セカンドアルバムは売れたけど
地味だし
ぱっとしないんだけど
何故か30年経った今も
ずっと気になっている。
ぎこちないハードなリフが
続く中
歌になるととても流暢。
恐らくその
サウンドに
なる以前に
ハードロックをずっと歌い熟して来たんだろうなぁと
思わせる。
バンド野郎なんですよね。
このブリーズも
キャッチーなツボを
たくさん押さえてて
そのB級な感じが
堪らないです。
今もずっと
現役で活動していて
写真で見る限り
とても楽しそう。
プロ野球選手が
草野球で週末楽しく
仲間とプレイを楽しんで
いるみたいな感じで
英雄になって
短命に終わるよりも
こういう方が幸せなのかな。
なんて思ってしまう。
熱に浮かされたような
高邁な理想や信念よりも
ほどほどな人生を。
コレクティブ・ソウルの
ブリーズ。でした。
2024年12月13日金曜日
一日一曲「その日は朝から夜だった / 嘉門達夫」
音楽が成し得るもの。
平和を歌う事ができる。
音楽が変えれるもの。
平等を唱える事ができる。
音楽が動かすもの。
いつか世界は1つになるかも知れない。
そんな愛と真実の中、
この世には
アンダーグラウンドと呼ばれる人がいる。
オーバーグラウンドの中にも
アンダーグラウンドという席を持つ
者がいる。
嘉門達夫という人がそうであり
アングラフォークの歌手です。
聞こえのいい
正しい主張の前に
黙ってしまうしかない中
彼らは
自分の如何わしさを
何ら恥じることなく
表現する。
嘉門達夫は
僕のお師匠さんにあたる人。
もし太陽の眩しさに
やっつけられそうになったら
覚えていてほしい。
世界の裏側の世界を。
嘉門達夫でした。
2024年12月12日木曜日
一日一曲「 ハッピークリスマス (戦争は終わった) / ジョン・レノン」
2024年12月11日水曜日
一日一曲「明日晴れるかな / 桑田佳祐」
最近、
2007年に
フジテレビで放映された
プロポーズ大作戦が
気になって
見たのですが
こんな凄まじいドラマだったのかと。
当時は
山下智久さんと長澤まさみさんの
美男美女の
絵に描いた餅のラブストーリーで
結構ですなぁと
煎餅をかじりながら
拝見していたのですが
大人になって見ると(当時は子供だったんですね)
そのメッセージの
明確さ、重さに
びっくりしてしまいました。
劇中のセリフでもある
過去を嘆く今よりも
今を変えようとする未来への意志が重要なんだ
ということを
10話を使って
見る方をひたすら説得するドラマ。
こんな教科書のようなお話が
月9でやっていたことにも
驚きです
主題歌である
桑田佳祐さんの
君は気付くでしょうか
その鍵はもう
君の手のひらの上に
と何故言えてしまうのでしょうか?
ずっと過去を嘆いてきた
僕にはとてつもなく
重く
深く突き刺さる
言葉です。
奇跡の扉を開く鍵はあるのでしょうか。
桑田佳祐さんの明日晴れるかな
でした。
2024年12月10日火曜日
一日一曲「Swoon / ケミカル・ブラザーズ」
みなさんには
あまり馴染みがないかも知れませんが
僕はケミカルブラザーズが大好きで
想い出の曲が数曲あります。
2011年ころでしょうか、
ぼくが音楽から離れていた時です。
一人暮らしを始め
もうお金を
稼ぐだけで精一杯。
もう年齢で言うと32かな。
所謂贅沢なんて全くしなかったし
友達もひとりとしていなかった。
感動することなんてないし
こうやっておじさんになって行くんだなと思った。
その中で冷遇されていた
仕事先を変え
新しい職場を探していた頃。
少しお金と時間を使えるようになってきて
久々にジーンズ店に寄った。
青春カムバックというか
ワクワクしている自分に気が付いた。
そこで流れていたのが
ケミカルブラザーズのSwoonだった。
音楽が全身を駆け巡った。
感動している自分に感動した。と
まるでどこかの漫画に書いてありそうなことを思った。
まだ音楽の物語は続いている。
数年後アイポッドナノ(もう販売していない)を
買って
それを入れた。
十何年も蓋をしていた音の革新性が
そこにはあった。
もしかしたらまだ自分にも何か出来るかもしれない。
そう思わしてくれたのがその曲で
ケミカルブラザーズだった。
それからまた十年以上経ち
今なのですが
また何か起きそうな予感がする。
幸せな日々よりも辛くても頑張る日々が未来を開拓する
そんなことを想いながら
ケミカルブラザーズのSwoon。でした。
一日一曲「忘れられないの / サカナクション」
一日一曲「オトナブルー / 新しい学校のリーダーズ」
2024年12月9日月曜日
一日一曲「ザ・ファースト・タイム / U2」
もし
生涯で一番好きな
アルバムを挙げろと言われたら
間違いなく
U2のズーロッパを
選びます。
その8曲目に収録された曲。
精神疾患がある時でも
安らぎを覚えるような雰囲気で
大好きな曲です。
天国が用意された
部屋のキーを
投げ捨て
裏口から出ていった
今、初めて愛を感じる
と逆説的に伝える事で
物語の深さを
表す
ボノの作詞家としての
力量が垣間見れます。
コードも3つしかなく
そのシンプルな構成が
ダイレクトさを
際立てます
とんでもない名曲というよりも
ベテランバンドが
辿り着いた
佳曲の境地、
ちょっと真似出来ません
アルバムも
詩が素晴らしく
ひとつの世界を
象っています
是非聴いてみてほしいです
ぼくも
いつか作るチャンスが
あるだろうかと思う
U2の
8枚目のオリジナルアルバム
ズーロッパ。
その中から
曲は
ザ・ファースト・タイム。
でした
2024年12月8日日曜日
一日一曲「ワン・モア・トライ / ジョージ・マイケル」
今日は
曲というより
ジョージ・マイケルという人に興味があって。
本名を
イェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥ
と言い
内気だった少年は
心の中で
"ジョージ・マイケル"という
別人格のヒーローを育てる。
この時点でかなりびっくりしたのですが
ご周知のとおり
芸能人デビューするに当たり
その名前を周到します。
潔癖症なんでしょうか
大ヒットした
ソロアルバムFaith
のあと
セカンドアルバムをレーベルが
あまり積極的にプロモーション
しなかった為
レーベルを起訴する。
ゲイであることをカミングアウト。
匿名で
いろんな団体に
寄付。
なにかこう
自責の念というか
満たされないなにかを
外部に理由を
求めているような。
幼い頃にいじめられていたのかなぁ
と邪推してしまいます。
ぼくが幼い頃
聴いたとき
その崇高な
メロディーに
安らぎを覚えました。
きっと
彼もそうだったんじゃないでしょうか。
大人になることなく
夢を見たまま
短い生涯を閉じた
ジョージ・マイケル。
曲はワン・モア・トライ。
でした。
2024年12月7日土曜日
一日一曲「ひなたぼっこ / どんと」
ボ・ガンボス、
ローザ・ルクセンブルク
を以前紹介しましたが
今日はその双方の
フロントマンであり中心人物の
どんとさん。
曲はひなたぼっこ。
正確にはローザ・ルクセンブルク
時代の曲ですが
少しだけどんとという人を語ってみようと
思いまして。
ぼくが彼の音楽に触れたのは
今から10年ほど前。
ぼくの生活にもYouTubeが
入りだした頃と
70年代の
フォークソングに
傾倒し出した時期が
重なっていて
まだYouTubeも規制が甘く
よくボ・ガンボスの動画を見ていました。
どんとさんの
命から歌う姿に凄いリアリティを感じた。
生き急ぐ姿に
少し自分を重ね合わせた。
何だろう、日本で
魂の歌を
歌える人って少ない。
というか彼しかいないんじゃないだろうか。
彼が早世
したのは
失礼な表現かも知れないけど
時代の
歪みによる
犠牲だと思ってしまうことがある。
ひなたぼっこの
ピュアな歌。
彼は彼の言葉で歌っていた。
中村一義がそうであるように。
商業主義に迎合できなかった彼。
ぼくはどうなんだろう。
レースに勝つことは
出来るのだろうか。
それとも疲弊して
彼と同じ道を辿るのだろうか。
厚かましくも
自分を重ねてしまう
どんとさんのひなたぼっこ。でした。
2024年12月5日木曜日
一日一曲「オー・シャンゼリゼ / ダニエル・ビダル」
今日はフランス
の佳曲
実は元々
この曲
イギリスの曲で
サイケデリック・ロック・バンド
ジェイソン・クレストの
をフランス語に
変えた楽曲。
時代も1968年と
比較的新しく
フランスの民謡と
誤解された方が多いのでは?
ぼくもご多分に漏れずです。
ジェイソン・クレストの
プロデューサー
フリッツ・フライヤーが
彼らの作曲能力に
限界を感じ
ビートルズのアップルレコード
から権利を買って
提供したものに
フランス語詩をつけたものが
ヒットしました。
この時代は
作曲神話があって
曲を書くだけでお金になる時代。
ジェイソン・クレストも
アーティストとしては
ぱっとしなかったけど
ウォータールー・ロードは
いい曲だったので
たまらず
権利を 買い戻したのでしょう。
それが世界中に愛される
フランスの代表曲になるのだから
世の中わからないものです。
日本でも南沙織さんの
カバーがヒットしたりと
馴染み深いものとなりました。
10年ほど前
先輩ミュージシャンである
カトゥーカフェさんが
この曲を路上ライブで
歌っていたのが
個人的に懐かしく
二番煎じがいやで
あまり
歌いたくない
ダニエル・ビダル。
の
オー・シャンゼリゼ、でした。
2024年12月4日水曜日
一日一曲「Electric Sea / スーパーカー」
ぼくは
スーパーカーの
最高傑作は
このErectric Seaだと
思っていて
エレクトロな
音楽に接近したり
そのものにもなったりしましたが
スーパーカーは
シンプルなギターサウンドをスタイルとした
バンドで
この曲では
それぞれの力量が
楽曲に実を結びました。
田沢公大さんの個性的で
鋭角で重い
ドラムスから始まり
中村弘二さんの艶っぽい声。
フルカワミキさんの
U2のアダム・クレイトンに通ずる
聴こえる以上に
論理的に存在するベース。
そして
スーパーカーにありがちだった
嫌味な印象がここでは
全く無く
いしわたり淳二さんの詩と中村弘二さんの曲が
"不幸な少年"という
スーパーカーを体現していたコンセプトを
調和し昇華されています。
お見事と言うしかありません。
何を隠そう
ぼくはこれがやりたかったんです!
シンプルな曲ですが
コード進行が複雑でよく出来ている。
音も郊外の夜を想起させる。
詩はもう世界基準で
不公平だった、不幸で染まったこの公園で育った
などもう筆に脂が乗っている。
バンドは短命に終わり
あまり
真正面から取り上げられている印象がなかったので
この曲を選びました。
その才能だけでなく
チームワークも
評価されるべき
スーパーカーのErectric Sea。でした。
2024年12月3日火曜日
一日一曲「赤い電車 / くるり& 魔法のバスに乗って / 曽我部恵一BAND」
この方も3週目のくるり。
曲は赤い電車。
以前も書きましたが
くるりは
曲の良し悪し以前に
フォーマットを
作り出してしまいます。
この赤い電車も移動音楽のマスターピースです。
これ以降、
電車音楽とあるレベルで
言えば
遅めのテンポで
3つの符号の
繰り返しで
ゆったりとした
曲調になったんです。
ぼくの
もご多分に漏れずで
その影響下にあります。
くるりがすごいのは
こういう曲を
シングルで出して
しまうところです
普通のグループだったら
アルバムの中の
遊び場というか
実験的に発表するのではないでしょうか。
もう一曲移動音楽で
外せないのは
曽我部恵一BANDの
この2曲は
双璧だと思います。
どちらも温かなグルーヴに
満ち溢れていますよね。
今日の一日一曲は
移動音楽の
金字塔と言うことで
紹介してみたかったので
イレギュラーですが
2曲選んでみました。
くるりの赤い電車、と
曽我部恵一BANDの
魔法のバスに乗って。でした。
2024年12月2日月曜日
一日一曲「Kiss / プリンス」
プリンスは
2周目で
曲はKiss。
プリンスは好きですが
熱心に
掘り下げることはなく
ぼくが知っているのは
この曲から。
まだ小学生のころ
兄も大変な音楽好きでした。
その頃から"洋楽"というものに
触れさせてもらっていた。
まだYouTubeがなく
MTVという音楽番組が
全盛期で
僕にとってMTVといえばプリンスだった。
彼が異端だと知るのは
随分後で
Kissも王道だと思っていた。
伴奏も打ち込みという機械に
よる物だと
思いも寄らなかった。
57歳の若さで亡くなったのは
正に天才だと思う。
けれど彼は
ヒットチャートを賑わしていた頃よりも
後年から晩年にかけての
方が幸せだったような気がします。
彼の伝統に対する反骨精神は
半端ではなく
ぼくもご多分に漏れずで
受け継いでいます。
魂を継ぐ者。
その魂
プリンスで曲は
Kissでした。
2024年12月1日日曜日
一日一曲「今夜も星に抱かれて / 絢香」
ぼくは
映画監督の
押井守さんが大好きです。
彼の作る
映画には
独特の時間があり
観ている間、贅沢な気分になれます。
スカイ・クロラ
という作品は
ラブ・ストーリーを目指してますが
その物語の中では
生きていることに
実感を得ることが出来ない
若者たちの
永く重い青春が描かれています
エンディングに
絢香さんの
今夜も星に抱かれてが起用されて
その
誠実なメッセージに
花を添えます。
当時、病で苦しんでいたであろう
彼女の声には
辛辣さがあり
その安らぎには
説得力があります。
ザ・メジャーな
イメージを持つ彼女ですが
この曲には
病的な
魂の歌心を感じる
絢香
さんの
今夜も星に抱かれて。
でした。
一日一曲「ピンクブルー / 緑黄色社会」
今日は
20年代グループと言っていいでしょう、
緑黄色社会。
曲はピンクブルー。
こんなこと言うと色んな所から
怒られそうですが
僕は個人的に
活動時期も似ていて
凄く親近感を感じています。
彼女達が結成した2012年、
ぼくも再起を賭けて
当時働いていたレストランを飛び出しました(怒らないで)。
勿論人気、実力も比較にはならないけれど
ぼくも"秋刀魚"を作ったので
イーブンだと思っています(怒らないで)。
面白いグループだなと思っていて
例えばキング・ヌーや髭男というのは
いいバンドだけど
昔からあった由緒正しき
グループなんですよね。
でも彼女達は
いてそうでいてなかったんですよ。
メンバー構成も変だし
バンド名も変。
このピンクブルーという曲も変。
多分この先
色んなグループが出てくるだろうけど
緑黄色社会の枠は
しばらく空いているんじゃないかな。
緑黄色社会でピンクブルーでした。
2024年11月29日金曜日
一日一曲「うんこ / 谷川俊太郎」
今日は
詩から曲をのぞき見る
ということで
先日亡くなられた谷川俊太郎さん。
うんこという詩が
面白くて
タイトルだけで人柄が垣間見えます。
ぼくも詩を書く上で
通らなければならない人だと思っています。
言葉に力があるけど
偉ぶらない。
平仮名が多くて
こうギョロッと見据えているような。
うんこというタイトルだけで
人間臭さ、平和
調和
平等
そういったものを
説教臭くなく
伝えてくれる。
まだ谷川俊太郎さん
の詩の魅力の
入口にも
入れていないけれど
まずその大胆な言葉使いを
真似したいなぁと思っています。
僕も真似して
うんち
というタイトルの曲を作りました
うんちみたいな曲だからです
もっと真似したいな
谷川俊太郎さんのうんこでした。
2024年11月28日木曜日
一日一曲「君という花 / ASIAN KUNG-FU GENERATION」
今日は早くもネタが尽きて
日本の王道バンド
ASIAN KUNG-FU GENERATION。
曲は君という花。
この曲を初めて聴いたのは2003年でした。
いい曲だという以上に
あぁ、自分が旬であることは
終わったんだなと感じました。
9つ離れた
弟が大好きなバンドで
ムキになる事も出来ず
淡々と受け入れていたように思う。
ギター・ヴォーカルの後藤正文さんが
自分より2歳も年上だったことを知って
親近感が湧くのは
つい最近で
その当時は羨望というより
ただただ羨ましかった。
その後のバンドグループの
イメージを
象った後藤さんの
ファッションセンスなど
僕にはゼロだったし
人望も無かった。
当時U2のヴァーティゴが収録されたアルバム
ハウ・トゥー・ディスマントル・アン・アトミック・ボム
が発表されて
大ヒットを記録していた時に
ヴァーティゴは大好きだったけど
アルバムはすごく冷めて見ていたな。
自分の好きだった音楽が2周目に入って
すっかり取り残された。
なんとかぼくたちもファーストアルバムを
作り上げたけど時すでに遅し。
相方が脱退を表明。
楽しかったけど僕だけだったみたいです。
あの後、続けることができたなら
相方を説得出来ていたなら。
僕もアジアン・カン・フー・ジェネレーションになれたんだろうか。
今でもおんなじ事をやりながら
想いに耽る
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの
君という花。でした。
2024年11月27日水曜日
一日一曲「Extra / Ken Ishii」
今日の一曲は
ケン・イシイのExtra。
歌のない曲なのですが
今回からインストゥルメンタルも解禁です。
以前、タテタカコさんを評して
日本における数少ないオリジネーターと呼びました。
ぼくは
日本にはオリジネーターが4人しかいないと思っています。
1人は瀧廉太郎。そして先日逝去された坂本龍一。
タテタカコ。
最後はこのケン・イシイです。
彼らには彼らにしか出せない言語があります。
ケン・イシイは
テクノというジャンルを更新し定義付けた。
テクノが硬質な音を使いながら
どこかふわっとした印象を持たしたのは
彼の発明です。
このExtraのイントロでノックアウトされるのですが
このアナログの無音から発せられる
無機質な音がテクノなんです。
ぼくもいつか自分のやり方で
テクノに接近したいなと思っています。
今日は短いですが
日本のオリジンを
紹介したく
ケン・イシイを取り上げました。
ケン・イシイのExtra。でした。
2024年11月26日火曜日
一日一曲「トーク・トゥナイト / オアシス」
昨日はイギリスの
一大音楽ムーブメント、ブリットポップの雄
ブラーでしたが
今日はその双璧オアシス。
曲はトーク・トゥナイト。
ぼくがギターを弾き語るのに
外せなく、
いい曲であるという以上に
歌を歌う意義を感じます。
ぼくが通っている学校には友達のいない高校生の頃
音楽をやりたいという想いだけはあった。
親友の水田君に撮っておいてもらった
MTVのこの曲の演奏を見た。
Oasis Talk Tonight Live MTV Unplugged Royal Festival Hall 1996.
冬の季節で部屋はストーブで暖かく
湿気もありポカポカだった。
とにかく嫌だった学校帰りに見たこの映像は
正に桃源郷だった。
確かな幸せがそこにはあって
ぼくもノエルのようにギターが弾きたかった。
音楽は美しい以上のものがある。
寄り添ってくれて
友達でいてくれる。
そういえば
まだトーク・トゥナイトのような
曲は作れてないなぁ。
オアシスのトーク・トゥナイト。
でした。
一日一曲「ビートルバム / ブラー」
といういうわけで戻ってきました一日一曲。
およそ1年と半年ほど間が開いてしまったかな。
薄々待っていた人が多いと推測しています。
決して遊んでいたわけではなく
来る3rdアルバムに向け
入念に下準備を行っていたのです。
そして第一弾シングルが紆余曲折ありながら
来年2025年の3月17日に発売致します。
それに伴いこの一日一曲も今日から
発売日まで復活です。
一日でも抜けたらドついてやってください。というところですが
今回は少しルールを変更。
まず一つは
今まで一日一曲カバーするということでしたが
一日一曲について語るというもの。
正直毎日楽譜を起こすのは相当ストレスでした。。
さらに一曲について語るということなので
インストゥルメンタル(歌がない曲)もアリにします。
もう一つは
毎日ではないこと。
毎日するのに勤めはしますが
出来ない日はできなかったと。
まぁ、あまり無理のないようにしようかなと。
しかしそれでも需要があると自負はしているので
よかったらのんびりお付き合いください。
では、復活の第一日目は
肩慣らしに
ブラーのビートルバムを。
この曲が発表された1997年当時
僕はU2のPOPに魅了される直前でした。
確かビートルバムが7月くらいで
POPがその一、二か月あとだったんじゃないかな。
90年代のバンドサウンドが旺盛を極めていた。
暗いエモーションでそれに終止符を打ったという意味でも話題になった曲。
ぼくは高校を卒業して
ニートを始めた年でそういう意味でも終止符を打った。
いろんな意味で感慨深く複雑な気持ちを抱く。
ブラーは定義しにくい音楽性でしたが
後年彼らのフェイバリットにこの曲を
挙げて音楽通のしたり顔をする輩が多かったが
僕は信じていない。
当時はエッジが効いていないし
シングルとしても弱いと思っていた。
けれど20年以上経って
生々しいバンドサウンドが
まったくヒットチャートに挑戦
しなくなった今となっては
輝かしい音楽だったと思う。
ぼくも当時そういう音を目指したし
見果てぬ夢だった。
ほんと青春を返せと言いたいけど
多分この年が
ぼくにとっての音楽の輝けるディケイドの始まりだったと思う。
ビートルバムは
当時の世相を反映した
テクノミュージック寄りの
トリックリズムから始まる曲で
今でも聴くに堪える。
歌詞も陰惨で暗い。
そんな自分でもいいんだと思えたけど
ぼくらはちゃんと大人になれたのだろうか。
それでも今でも
格闘し続ける
熾火のような曲。
忘れたふりをしているけど
しっかり覚醒している
永遠のアンセム。
いつか逢いたいな。
ブラーのビートルバム。
でした。
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