2024年12月28日土曜日

一日一曲「ありがとう / いきものがかり」

いきものがかりは

2周目で

前回はうるわしきひと

でした。

松本孝弘も

認める

メロディセンス

歌唱力。

それはもう

シンデレラストーリーのように

業界の重鎮たちに

愛されて来ました。

路上から始めた

度胸、

声量、

またアコースティックギターから

始めたのも良かったんでしょうね。

凡百のエレキバンドには

到底到達出来ない

演奏力がある。

00年代、

彼女達は

J-POPの寵児でした。

その頃、

同じようなポジションにいたのが

かのコブクロ。

彼らも関西の路上から始めた。

インディーロックバンドの

嫉妬を横目に

充分才能を開花させていた。


それから月日が

流れ

20年代。


コブクロが活動の幅を

広げながら

今だに勢力を拡大している中、

何故

いきものがかりは

失速したか。


もっと言うと

業界のお荷物になってしまったか。


以前コブクロの

DOORを投稿しましたが

一日一曲「DOOR / コブクロ」


考えるに値する

出来事だと思います。


いきものがかり。の

ありがとう。

でした〜



2024年12月26日木曜日

一日一曲「プッシュ・イット / ガービッジ」

ガービッジの

プッシュ・イット

発表されたのが

1998年。


1997年に発表された

U2のPOPにサウンドがそっくりで

確かに

この曲は格好良かったけど

当時は

2匹目のドジョウくらいにしか

思ってなかった。


またシャーリー・マンソンの

男受けしそうな

ちょっとロリータな

雰囲気も

アイドルっぽく

軽視していた。


ただ

マンソンという名前に引っ掛かった。


マリリン・マンソンと

関係しているのかな?


ビデオクリップの方も

当時の流行りのインダストリアル・ロックに

寄せていたというよりも

元々の出自が

そうだったのかも。


マンソンの

壮絶な生い立ちも

曲に

対する説得力

を生み出し

残りの3人も相当の強者。


20年以上経った

令和の今

切れ味が

鋭くなった

ガービッジのプッシュ・イット。

面白いなぁ。



一日一曲「リトル・スター / スティーナ・ノルデンスタム」

スティーナ・ノルデンスタムは

1991年から

活動を始めた

スゥエーデンの女の子。

90年代、

自我を爆発させる

アーティストが多い中、

彼女は異質でした。

リトル・スター

1997年発表の

ロミオ+ジュリエットの

サウンドトラックに

収録されヒットしたかどうかは

ともかく

作品に奥行きを貢献しました。

ぼくは買わなかったのですが

聴く事が出来ました。


当時好きだったまいこちゃんが

持っていて貸してもらったからです。


まいこちゃんは

和歌山県から兵庫県の

関西大学に通学する為に

西宮市の寮に越して来た女の子。

八重歯が可愛く

ショートカットで

少しだけ髪を染めていた。


一緒に

ブルーマリンという

大きな

喫茶店で

働いていて

ぼくはゾッコンだった。

赤いセーターが凄く

似合ってて、

でも彼氏がいました。


リトル・スターを

聞きながら

彼女への淡い想いを

膨らましていました。


残念ながら

失恋してしまうのだけど

可愛かったなぁ。


スティーナ・ノルデンスタムの

ピュアな

音楽は

スゥエーデンという国と

深く関係していると思う。

まだまだ何か隠されているんじゃないかな。


曲はリトル・スター。

でした。



2024年12月25日水曜日

一日一曲「バッド・メディシン / ポン・ジョヴィ」

ぼくは

普段あんまり

ボン・ジョヴィを聴きません。

もっと言うと嫌いです。

けれど

このバッド・メディシンだけは

特別で

大好きです。

80年代の

MTVの華やかな

良き思い出として

今も思い出します。


ハードロックは

今じゃ当たり前だけど

ずっと

アンダーグラウンドな

音楽だった。

化粧したり

ハードゲイの格好をしたり

執拗に

ギターを弄くる

その様は

女子には受け入れ難かった。


そこでボン・ジョヴィである。

その甘いルックス。

パーマのかかった

ブロンド。

そして悩みの無さそうな

そのハスキーボイスに

女子たちは狂ったのである。


禁じられた愛で

天下を取った

勢いそのまま

出されたバッド・メディシンは

正しく何の悩みもない

幸福な

季節だったのである。


確かソニーのカセットテープ

のタイアップにもなり

日本市場を開拓。


この頃は

その側面で言うと

日本とアメリカの

時代だったんですね。


日本とアメリカの交友関係が

信じられていた時代。


今じゃすっかり

属国ですが

友達、平和、正義の

良き正しき頃も

あったんですよ。


世界はどこに向かって行くのか。

勝ち組の

ボン・ジョヴィ。

曲はバッド・メディシンでした。




2024年12月24日火曜日

一日一曲「Sweet (A La La Long )インナー・サークル」

ぼくの音楽的なルーツに

レゲエは

ほとんどなく

ヨーロッパの音楽ばかり聴いていた。

10代の頃

大阪の

ファッション街

アメリカ村で

ジャマイカの国旗を

見る度にスルーしていたのを

思い出します。


レゲエバンドと

UKやUSのバンドって

音楽をやる動機が

違うと思うんです。

前者は

みんなで楽しむ為にハッピーになる為にやる

趣が強く

後者は

もっと動機が個人的で

認められたいという

欲求が強い。


インナー・サークルは

1968年から始まった

古いバンドで

ホテル付きのキャリア

から始めました。


メンバーを交通事故で失ったり

病気のメンバーを

治療に専念させたりと

それでも続ける背景には

ファミリー的な意味合いが

強いんじゃないかな。


Sweet (A La La Long)

ヒットしたのは1992年。


80年代のバンドだとばかり

思っていたなぁ。


自分が40代になって

やっとイギリス的な

出自に疑問を持ち

他の文化圏の

音楽に

興味を抱き始めた中

インナー・サークルの

Sweet (A La La Long)みたいな曲かあったなと

思い出しました。

兄がよく口ずさんでたな。



2024年12月23日月曜日

一日一曲「LADY NAVIGATION / B'z」

B'zは2周目で

曲はLADY NAVIGATION


と言っても

曲について語る気はあまりなく

B'zと私といった趣で。


このLADY NAVIGATION

が発売された頃

ぼくは中学1年で

思春期真っ只中だった。

稲葉浩志の

完璧なルックスに

やられたし憧れた。

髪型のふわっとした感じ、

ユニセックスなジャケット

そして

何と言っても 

ジーパンの

着こなしかたが

足にピターッとしていて

格好良かった。

当時はわからなかったけど

スタイルが良かったし

足も鍛えられていたので

それで似合っていたんですね

ただただ学校を

往復するだけの毎日の

体には

あのジーンズはハードルが

高すぎた。

曲も

この頃のが

一番好きで

デジタルサウンドに

ディストーションギター

にやられて

真似して

ぼくも松本さんモデルの

エレキギターを買った。

楽器というよりも

高いおもちゃを買ったという感じ。

全く弾き方が分からず

音も全く出ない。

押し入れに直行だった。

神社にお参りに

行った際

ギターが弾けますようにと

お祈りしたのも

この頃だった。

そうなんだよね、

ぼくがミュージシャンを志したのは

B'zなんだよね。

忘れてた。

40代になった今

少し足を鍛えて

少しだけ

稲葉さんの

ように

ジーンズを

履けるようになった

B'zの

LADY NAVIGATIONでした。



2024年12月22日日曜日

一日一曲「うるわしきひと / いきものがかり」

いきものがかり

と言えば

ぼくは

うるわしきひとを真っ先に

連想します。

この曲

オリコン最高位

17位と

地味な数字。

けれど

いきものがかり

の名刺的な

インパクトがあったと思う。


大体

大ヒットソングの

前には

こうした

本当にいい曲という

ものがあるものである。


いきものがかりも

この曲で"もの"にしたんですね。


面白いと思ったのは曲

だけでなく

そのPVで

昔カラオケに行ったとき

よく店内にその映像が

流れてて

いつも違和感があった。


なんでだろう、とずっと

思ってたのですが

この曲に限らず

当時のJ-POPと呼ばれる人たちの

映像には

漏れなく一般の人が出ていないんですね


出てくる人は

ミュージシャン本人か

全て役者。

そこに写し出されている

世界はファンタジー。

リアリティが全くない。


それをメジャーの

プロの演出

と取る人もいるかも知れないけど

ぼくはそうは思わない。


絵コンテ通りにやって

撮影するのもいいけど


その場当たりの

生の臨場感みたいなものは

無くなる。


日本の映像と海外の映像。


そういう事も考えさせてくれる


いきものがかりのうるわしきひと。 


彼らも路上から始めたんですよね。