2022年12月24日土曜日

一日一曲「夏をあきらめて / 研ナオコ」

今日は

日本の重鎮

研ナオコさん。

曲は夏をあきらめて。


夏をあきらめて / 研ナオコ YouTubeより


この曲は

桑田佳祐さん作詞作曲。

すごくいい曲で

なにかに似てるなーとググったら

魔女の宅急便のテーマ曲にそっくり!

魔女の宅急便 / 久石譲 YouTubeより

久石さんもお人が悪い。。

と思いながら

もっと古い曲で元ネタがあるかもしれませんね。


研ナオコさんは

1971年から活動を開始して

芸能界の女性ボスな印象があるけど

まだ60代なんですね。


世代交代の移り変わりが早い昨今

とても重要な位置を

占めているような気がします。


歌い方が

曲名通り

あきらめたような

歌い方。

脱力系は

ぼくもそうで

唄に説得力を

持たせたいときに使わせて頂いています。


歌手のみならず

テレビのバラエティー番組で

活躍されているのは

ご周知の通り。


自身がストーカー被害に遭った

相手をマネージャーにしてしまう。。


早い話がそういう人

なんですね。


若返りが激しい

今の日本。

その存在感はより一層輝きます。

研ナオコさんの夏をあきらめて。でした~





2022年12月23日金曜日

一日一曲「ザ・グッド・ライフ / ウィーザ―」

今日はウィーザ―。

曲はザ・グッド・ライフ。




僕はアメリカの

バンドの音がどうも苦手で

イマジネーションを

どこか放棄しているところが

その所以かも知れません。

このウィーザ―もそうで

世代的にドンピシャなのですが

あまり聴く気がしません。

今も然りです。

けれどこの

ザ・グッド・ライフの曲とビデオは大好きで

田舎の女の子が

バイトでピザを配達するだけのビデオなんですが

その力の抜けたサウンドと相まって

当時の若者の気分を見事に表現していたと思います。

平凡で

鏡を見たらうんざりする顔。

とりあえずバイトするけどこれが人生?


90年代半ば

当時所謂

普通の奴の受け皿がたくさんあった。

逆に美人であったり

かっこいい奴の方が

所在なさげだった気がします。

落ちこぼれは堅実に人生を

歩んでいたような。。

いつの時代もそうかもしれませんが

得にそうだった気がします。

ウィーザ―の音楽スタイルは

多くの人が真似たし

日本での"バンド"のイメージって

言うともう彼らのスタイルであるような気がします。



若き青春が終わって

特に何もすることがない。

周りを見れば同期の連中は

しっかり就職して身を固めている。

気が付けば自分は

あの頃の思い出にすがっているだけ。


そんな悪夢のような日々。

僕にもそんな時期がありました。

そのころの連中はどうしているのでしょうか?

まだ答えは出ていない気がします。


ウィーザ―のザ・グッド・ライフ。でした。



2022年12月22日木曜日

一日一曲「竹田の子守唄 / 赤い鳥」

昨日に引き続き

赤い鳥。

曲は竹田の子守唄。


竹田の子守唄 / 赤い鳥 YouTubeより


被差別者の心情を描いた

本作を取り上げようか

迷いましたが、

昨日のポンタさんに続いて

大村憲司さんのことを

書きたかったので選びました。


大村さんも同郷兵庫県神戸市生まれ。

僕が彼のことに気づいたのは

つい最近ですが

中学生の頃夢中で聴いていた

YMOのギターが大村さんだったり

知らず知らずにずっと聞いていました。


僕の生まれでもある

兵庫県の西宮や神戸は

恵まれた地域で

裕福な家庭が多かった。


そういう意味で故郷に錦を飾って

名を挙げてやるという意味での

ハングリー精神みたいなものは

土地柄で持ち合わせにくいように思われます。


大村さんも例外ではないと思います。


ギタリストを目指していた高野寛さんが

大村さんのプレイを目の当たりにしたとき

閉口してしまい、

ソングライターに転向されたそうです。


1998年に49歳の若さで逝去された

ことを知った時は

才能と命は両立しないものなんだなと

思いました。


竹田の子守唄は

"たけた"と発音し

京都の地名らしいです。

"子守唄"も守り子唄の意で

子供を寝かしつけるのではなく

子供が奉公に向かう唄。


盆が来たとてなにうれしかろ


という詩が

働きに向かう子供の心情だと

思うと胸が痛みますよね。


部落の歌が

兵庫県の神戸という

比較的裕福な

生まれの人たちから

掘り起こされ

発信されたというのが

歴史を見るというか

言わずもがなという感じです。


亡くなられたけど

音は残っているので

大村さんのギターを聴いて

静かな夜を過ごしたいです。


赤い鳥の竹田の子守唄。でした。




大糸タイムスさまに掲載して頂きました!


大糸タイムス様に活動を紹介して頂きました!

3年間続けた路上ライブが報われました!

大糸タイムス様、ありがとうございます!


【掲載記事全文】

「浴衣とギター 路上ライブ

白馬村の田口英さん 毎週火曜に大町駅前で」

 トレードマークの浴衣を着こみ、ギター片手に路上で弾き語る。白馬村神城の田口英さん(44)は、毎週火曜日午後1時から3時まで、大町市のJR信濃大町駅前でライブ演奏を行っている。

 兵庫県出身。高校時代に音楽の道を志し、卒業後は神戸を拠点に、作曲とライブ活動を行っていた。一時中断した後、10年ほど前に再開した。

 5年前に縁のあった白馬村へ移住。地元のイベントなどでライブ活動をしながら、シングルとアルバムをそれぞれ2枚出した。

2枚目のアルバム「秋刀魚」は「平成」がテーマで、ノスタルジーを感じさせる作品となっている。

 応援してくれる人の後押しで、アルバムのPR活動と位置づけ、精力的にライブ活動を続けている。演奏曲のジャンルは洋楽からJ-POP、フォーク、ロック、民謡と幅広い。

 ミュージックビデオの制作も手掛けており、「やりたいことがたくさんある。深く広く発信していきたい」と意気込む。

2022年12月21日水曜日

一日一曲「翼をください / 赤い鳥」

今日は

1969年に

兵庫県尼崎市で結成された

赤い鳥。

曲は翼をください。




僕は村上"ポンタ"秀一が大好きです。

と言っても彼は

一時期赤い鳥に在籍していただけですが。


僕が高校卒業後バイトをして

買ったドラムキットを勉強しようと

西宮市の図書館に

たまたま置いてあったドラム教本が

何故かポンタさんので(今思えば同じ同郷西宮市だったんですね)

僕の音楽キャリアは

そこから始まりました。


プー太郎で

今で言うニートだったけど

やる気だけはあったので

ポンタさんのCDも買って勉強しました。

賞や記録、名誉などとは無縁で

日本のミュージシャンの中、彼だけは異質です。

どこか罪悪感に苛まれている

ニヒルな笑顔も

歴史の重さを語らせます。

赤い鳥も

大村憲司さんがいたからだけ

という理由そうだし

職業ドラマーとしての覚悟や

潔癖さを感じます。

日本のドラマーのクオリティーが

やたら高いのも彼の功績だと思っています。


残念ながら1年前逝去されて

お会いすることは叶いませんでしたが

彼の姿勢、理論は勉強になります。


今回はほとんど

ポンタさんの話になってしまいました。

翼をくださいは

個人的に品行方正な

歌詞がずっと苦手で

今も然り。


ただポンタさんを語りたく

チョイスしました。


大村憲司さんも気になるなと思いながら

赤い鳥。翼をください。でした。




2022年12月20日火曜日

一日一曲「1969 / ザ・ストゥージーズ」

昨日はイギー・ポップを

取り上げましたが

今日はその彼のバンド

ザ・ストゥージーズ。


ザ・ストゥージーズは

1967年に活動を

始めたバンドで

ガレージバンドの先駆者でした。


この"ガレージ"という名前は

文字通りガレージで

演奏を練習していたことを指して

荒々しい音が特徴。


ドアーズのジム・モリソンの

パフォーマンスに

天啓を受けた

イギー・ポップの

観客を煽動する

ライブは過激で

刹那的でした。


作品も商業的に成功することなく

バンドは終わりますが

その非商業的な姿勢は

多くのフォロワーを生み

今でも語り継がれます。


僕もほとんど聴いてこなかったのですが

あっ、これもあれもストゥージーズ!?

という感じで

たくさんの有名なバンドの音が

ここから始まったのかーと

ちょっとショックです。


1969もその一曲で


1969 / The Stooges YouTubeより


U2がデザイアーで

Desire / U2 YouTubeより

ドラムパターンを

完全にコピーしています。


コードは基本的に二つだけで

メロデーというよりもノイズを聴かす

といった趣向。


歌詞に関しては

今回は割愛。


一日一曲を始めて

大きく変わったのが

リズムの聞き取り方で

メロディーの希薄な音楽も

興味深く聴くようになりました。

アンダーグラウンド・ア・ゴー・ゴーです。


ザ・ストゥージーズの

1969。でした~




2022年12月19日月曜日

一日一曲「ザ・パッセンジャー / イギー・ポップ」

今日はイギー・ポップ!

曲はパッセンジャー。


The passenger / Iggy Pop YouTubeより


この曲を知ったのは

故マイケル・ハッチェンスのカバーで

The Passenger / Michael Hutchence YouTubeより

地味な曲だと思ったけど

イギー・ポップを知るきっかけになりました。


歌詞が面白くて

恐らく車でしょう、

夜中に車中に乗ってドライブしている

状況を描いていて

硝子越しに見える空や雲

ネオンを

非現実的なものとして捉えています。


今でこそ

SF(サイエンスーフィクション)は

物の見方として一般になりましたが

この曲が発表された1977年当時

そんなものは無かったであろうし

音楽としても新しいドアを叩いたと

思われます。


イギー・ポップは

60年代後期のガレージバンド

ストゥージーズのメンバー。

後世に与えた影響力は

計り知れません。


それについては次回書くとして

ザ・パッセンジャーは

跳ねるリズムに乗せた

ほぼほぼ4つのコードを

延々と繰り返す

今で言う

循環コード。


イントロはトリックリズムを使っていて

ぼくも覚えたいです。


75歳になった今も

元気に走り続ける。

世界は大きいなと思わせる

レジェンド・イギー・ポップの

ザ・パッセンジャー。でした。




2022年12月18日日曜日

一日一曲「ミス・ミザリー / エリオット・スミス」

僕は

ずっとU2になりたく

自分なりの

バンドサウンドを探して来ましたが

どうも人と一緒に

やるのが

上手く行かないみたいで

ほぼほぼ行き詰まっていた時

新たな活路を

見出したのが

アコースティックサウンドで

その契機になったのが

エリオット・スミスでした。


どうやらギター一本でも音楽は出来るらしい。


それまでの僕は

言うなれば

憧れのバンドを

なぞっていただけで

曲を書いていたわけではありませんでした。


そこから

今まで作った曲を

煮詰めて煮詰めて

語弊があるかも知れないけど

商品にしていく

作業が始まり


今に至るようになりました。


そういう意味でも

エリオット・スミスには

自分を重ねると所が多々あったので

彼の死はショックでした。


けれど残した曲は素晴らしく

今でも聴きます。


ミス・ミザリーの


Miss Misery / Elliot Smith YouTubeより


ジョニ赤の手を借りて


という箇所が面白くて

"触りもの"

という

みんなが知っていて

その光景を連想してしまう

技法に最初に気付いた曲で

それが直接契機に

なったわけではないけど

僕もあえて商品名を歌詞に入れたり

そこから作詞を

始めたりしています。


彼が亡くなって20年近く経つけれど

僕が

シンガーソングライターとして

歩めた

きっかけを作ってくれた人であり

今でも感謝しています。


エリオット・スミス。の

ミス・ミザリー、でした。