2025年1月17日金曜日

一日一曲「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー / U2」

U2は

何周目に入ったか分かりませんが

U2です。



世界的に認知されている

この曲。

しかしながら

ぼくはまだ

この曲を

掴みきれていません。


悲痛なラブソング、

宗教によって

引き裂かれた

恋人の話。


諸説ありますが

もっと深みがある気がします。


何と言うか

虚無そのものを描いているというか。


聞いたことがあるのが

こんなにU2らしい

曲が大ヒットしたのが

不思議だという事。

なるほど

確かに

ヒットソングは

そのアーティストの中でも

割と軽いというか

ちゃちゃっと書いたものが

多い傾向がありますよね。


そんな中で

U2の本道の

ようなこの曲が

大ヒットしたのは

一重に

ライブ活動で

地道に距離の近い

ファンを獲得していったからかも知れません。


この曲の眉唾なのは

最後のジ・エッジのギター。

ヴォーカルのボノの

ファルセットボイスが

終わった後

派手なギターソロではなく

淡々と

控えめな

同じリフが続きます。


これは

ジ・エッジの発明で

ぼくも真似しました。


トーンを落とす事で

物思いに耽ってしまうという

高級な技です。


ベーシストの

アダム・クレイトンの

ベースラインも

U2印で

多くのグループか模倣しています。

ぼくもご多分に漏れず。


ぼくもこんな曲が書ければ

億万長者になれると本気で思っていました。


なかなかそんな曲は書けない

U2の

ウィズ・オア・ウィズアウト・ユーでした。



2025年1月16日木曜日

一日一曲「悲しくてやりきれない / コトリンゴ」

先日

ラジオを点けていたら

流れてきたのが

コトリンゴさん。


消えそうな声で

囁くように歌う。


怒られるかも知れないけど

こういう人は

ぼくが音楽活動をする上で

いつもいました。


線の細い

弾き語りの

女性アーティスト。


伽藍洞の

ライブハウスにいつも

華を添えてくれました。


あまり意識してこなかったのですが

敢えて失礼を

承知で言えば

同じ弾き語りでも

ちょっと

ぼくとは

出生が違う。


野心がないわけではなく

ふつふつと

確かな

想いを

抱きながら

活動をされている気がします。


素敵だな

というだけでなく

弾き語りの

在り方に

沢山の可能性を

見てしまうのです。


悲しくてやりきれない

ザ・フォーク・クルセダーズの曲ですが

これは

コピーではなく

カヴァーです。


その辺りについてはまた

今度という事で

コトリンゴ。さんで

悲しくてやりきれない。

でした〜



一日一曲「長い間 / Kiroro」

キロロは

1995年に結成した

90年代アーティストですが

ほくが普段から

言っている

"オルタナティブ"とか

"UK"であるとか

そういうところと

全く関係ないところで

発掘されました。

でも

激動の90年代

洋楽が

熱かったあの時代

その辺りの

音楽を聴いていないわけが

ない筈である。

ただ

ピアノ弾き語りという

黄金旋律を見つけてしまったので

"打ち込み"であるとか

"バンド"であるとか

そういうものに

素早く距離を置くことに

成功した

稀な人たちです。


画期的で

この曲で

女性アーティストの

間口を

ぐっと押し広げました。


愛してる、まさかね
そんなこと言えない


という細かい機微。

1998年当時

同僚だった

さやかちゃんに

真面目に

なんで?

と聞かれたのを

思い出します。

その深い洞察力は

海外の

詩を沢山

読み込んだからではないでしょうか?


アジア圏に

絶大な人気を誇る

彼女たち。

ぼくも早速楽譜に起こさなくては。


Kiroroで

長い間。

でした。


2025年1月14日火曜日

一日一曲「ゆらゆら帝国で考え中 / ゆらゆら帝国」

こんばんは。

アウトサイダー企画

3日目。

トリを飾るのは

ゆらゆら帝国。

曲はゆらゆら帝国で考え中


1日目は椎名林檎。

2日目はブランキー・ジェット・シティ。

3日目はゆらゆら帝国。


この3組に

共通するのは

作家性や作風以前に

めちゃくちゃテクが

上手いところです。


それは

何を意味するかと

申しますと

メディアを必要としない

あるレベルでは。

ということです。


結果的に

メディアが取り上げただけで

あり

独自の道を歩んできました。


実に羨ましい存在です。


昨日のブランキー同様

ゆらゆら帝国で考え中

聴いたときはぶっ飛びました。


詳細は

ご自身で調べてもらうとして


いい曲である

という

定義を完全に変えてしまっています。 


という事で

3日に渡って

お送りしましたが

如何でしたでしょうか?


ほとんど欺瞞に近い

消化の仕方(楽だった。。)

でした。


また機会があれば

アウトサイダー企画は

やりたいです。


最終日は

ゆらゆら帝国で

ゆらゆら帝国で考え中

でした。



一日一曲「ぼくはヤンキー / ブランキー・ジェット・シティ」

こんばんは。

3日連続アウトサイダー企画

2日目は

ブランキー・ジェット・シティ。

曲はぼくはヤンキー


意外ち思われるかも知れませんが

ブランキー・ジェット・シティは

初の投稿。 


サブスク解禁となった

今を狙った

訳ではなく

彼らに対しては

畏敬の念と申しましょうか

どのように

触れて

いいのか分からず

というか

もし

万が一

失礼があったら

ボコボコに

される可能性もあるので

2の足を踏んでいました。


ぼくはあまり

積極的に

彼らを聴くことはなく

なんかすごいなぁと

いつも端から眺めています。


10代のころ

ロメオの心臓という

アルバムを借りました。


90年代後期の作品で

彼らなりに

その時代の空気を吸って

取り込んだアルバムでした。


また何かの機会があれば

CDで聴きたいですね。


それくらい

音も良かったし

面白かった。


ただ彼らはピュアリスト

なので

外部の空気を

吸うことで

自爆してしまい

バンドの

生存を

自ら止めてしまいました。


その辺りについては

また別件で触れるとして


このぼくはヤンキーは

ロメオの心臓に収録されていて

初めて聴いた時

度肝を抜かれました。


パパ、ママごめんね、ぼくはヤンキー


という詩にです。

浅井さんは言葉の人です。


もちろんギターテクも

半端ではありませんが

彼らを

特別にしたのは

その文語力。


ちょっとカッコ悪い事で

深みを増す、説得力を持たす。


彼らを日本のグループと

思っている方が多いと思われますが

それは誤解です。


彼らは

現在のところ

日本の中で数少ない

世界基準の

トリオです。


昨日の椎名林檎同様

これからが

楽しみな

ブランキー・ジェット・シティ。

曲は

ぼくはヤンキー。


ホントすごい詩だなぁ。



2025年1月13日月曜日

一日一曲「真夜中は純潔 / 椎名林檎」

今日から

3日に渡り

アウトサイダー3部作と銘打って

お届けしたいと思います。

一日目は

椎名林檎嬢。

曲は

真夜中は純潔


ぼくが

椎名林檎を聴かないのに

決定的になった曲で

大嫌いな曲でした。


なんせそのクレバーぶりが

鼻についた。

当時は若かったし

異質なものを認める度量も無かった。

女の子を

デートに誘えたその日

ラジオから流れたこの曲に

悪態を吐くという

大失態をしてしまい(時間を元に戻してください!)

忘れられない曲になった。


林檎さんは

早くから

昭和歌謡に着目していた人であり

この曲でも

そのセンスは

抜群に評価できます。


今また若い世代に依って

再評価されつつある彼女。


歴史に名前を刻んだ

これからが

面白い

椎名林檎で

真夜中は純潔。でした~




2025年1月12日日曜日

一日一曲「悲しみよこんにちは / 斎藤由貴」

ぼくは

今ではすっかり

アニメを観なくなりましたけど

子供の頃は

どっぷり

浸かっていました。


音楽を志すように

なる前

ぼくは漫画家になりたかった。

架空のキャラクターを

描くのが大好きでした。


本格的に

Gペンにケント紙を

揃えて

ストーリーも描くぞ!

と意気込んだのですが


建物の絵を描き方が分からず

挫折してしまいました。


遠近法が理解出来なかったのです。


悲しみよこんにちは

主題歌だった

めぞん一刻は

再放送で

観ました。

主役の

音無響子さんの

いじらしさ

やられてしまいました。


当時

二十歳くらいで

ニートしていたので

今思うと

何やっていたんだろうと。


作曲が

玉置浩二さんで

甘いメロディは流石。

森雪之丞さんの

詩も切なく

斎藤由貴さんの

声は

儚いてす。


ぼくは恋愛する時、

この漫画を

参考にしてしまうのですが

それって

どうなんだろう。

と思いながら

斎藤由貴さんの

悲しみよこんにちは。

でした。