今日の一日一曲は
兼ねてから近しい人を取り上げたいと思い
不二 未知世(ふじ みちよ)さん。
不二さんとは2014年から仲良くさせて頂いている友達。
僕がお世話になっているエンジニアの大野ヒロさんを通じて
折角近いのだから普通に曲を取り上げるのももったいないので
ご本人にインタビューしました。
その模様を拙いながらまとめてみました。
ドキドキですが良かったら最後まで読んで下さい。
__もともとホイットニー・ヒューストンに憧れてたんだよね?
不二 未知世(以下、不二) : そうです、めっちゃ憧れてました。
__映画のボディーガードからだよね?そこから掘り下げていく感じ?
(不二) : いえ、違うんです。ちょっとご縁があって。中学生の時に英語の授業の時に先生がホイットニーのアルバムを流してくれてたんですよ。そのアルバムの中に
グレイテスト・ラブ・オブ・オールつていう曲があって。その曲が流れた時にわたしがずっと家で聴いていたオルゴールCDの中のメロディと一緒だったことに気付いて。それで先生に「この曲なに?このメロディ知ってる!」って。
そしたらこれはホイットニー・ヒューストンだよって教えてくれた。13歳だったと思う。それでそこからアルバムを聴き倒しました。
__それまでは音楽は?初めて買ったCDとか覚えてる?
(不二) : 歌うことは好きだったんですけど全く。初めて買ったCDもホイットニーでした。
子供だったんでお小遣いで買える範囲で(笑)
__不二さんは楽器は持たないんだよね?
(不二) : うん。楽器は持たなくて、ピアノも家は習わしてもらえるお金が無くて。子供のころに泣いて(ピアノを習わしてほしいと)お願いした記憶がある。
その代わり英語を習わしてもらっていた。両方は無理だと。
__なんか子供の頃ってそういうの理解できなかったけど今だったら分かっちゃうよね。
(不二) : うん。でも歌手になってからお母さんに「あんたにピアノを習わせてあげたらよかった」って言われたけど、そのおかげで大野(ヒロ)さんに横でピアノを弾いてもらえるという保険が出来たというか(笑)わたしはそれで歌に集中できるようになったんです。
__英語を習ってたって、海外留学とかしてたの?ちょっと話し方が海外訛りな印象がある。
(不二) : 留学はしてないんですが小学校6年間英語教室に通ってました。でも授業はみんなやる気がなくてずっと遊んでた記憶が(笑)でもよく言われます。髪もくるくるでスパニッシュ?とか。
__すごいコンプレックスだったんだよね?何かの歌詞にあった気が、、
__そこから音楽は?完全にホイットニーに憧れて、みたいなのとは違う気がするんだけど。
(不二) : はい、ホイットニーへの憧れだけじゃないんですけど。ただ2012年にホイットニーが亡くなってしまうんです。彼女の薬物依存は、ボビー・ブラウンと出会ってからという巷の噂もあるんですが、もっと昔、デビュー後すぐからとも言われていて。ショービジネスの性と申しましょうか、、
ホイットニーの死はすごいショックで。
その頃にボイストレーニングスクールに通い始めていて。それでホイットニーの死に何故か使命感を感じるようになって。
そのあと決定的になったのが従妹の結婚式。披露宴の余興でゲストのバンドが用意されていた。その時にわたしの亡き父が「うちの娘の方が歌上手い」と言い出して(笑)。
母も乗り気で歌って来いと。それで父が司会者の方に直談判したら通ってしまった。
その時に歌ったのがアメイジング・グレイス。
無我夢中で歌った。会場は拍手喝采。バンドの方も褒めてくれて。とにかく必死だった__
お話を聞かせて頂いた通り不二 未知世さんは我のないアーティスト。
ライブでも観客の目がキラキラしているのが印象的。みなさんも彼女のメッセージに偽りがないことを見抜いているのでしょうね。
もっとお話をお聞きしたかったのですが僕の腕では今回はこれが限界でした。
不二 未知世(ふじ みちよ)。
曲は等身大の自己肯定を歌う
me-me-to be happy。
でした。